· 

珈琲を淹れるのを見にいく

そのお店に看板はありません。

開いているときだけ、店先にある目印がかけてあります。

 

カウンターに6席だけ。

サンドウィッチもケーキもなく、珈琲を出してくれるお店。

 

私は空いていれば、手前から2番目の席に腰を下ろして

読まないかもしれないけどね。。。と思いながら

読みかけの本をカバンから出します。

 

一息ついたころにカウンターの中のマスターが

「今日の珈琲はどんな?」

その日の自分の体にすこし「どうかな?」と聞いてから

「あまり苦くなくて香りのいいものをお願いします。」

その日はそう答えてから、

やっぱり、あまり読まないであろう一冊の本の

表紙を手でなでるようにして

マスターが珈琲を淹れ始めるのを、今か今かと待っていました。

 

豆を選んで 一杯分ずつ曳いていく音

くらくらと湧いたお湯を 注ぎ口のほそいケトルに移し替えるすこしずつ高く伸びるお湯とゆげ。。。。

ドリップはお手製のフェルトで。。。

マスターはなにも言わず 一連の動きは一切の無駄がない。。。

 

美しい。

 

薫り高く曳かれた豆に 一滴 一滴 一滴 湯を落としていく

しばらく まんべんなく

マスターは豆と一体となって 

そのころ合いを感じているように見えるのです。

十分に豆が蒸れたころ

すこし勢いをまして湯がほそく注がれると

豆はふわふわと盛り上がって、いっそう香りがたちます。

 

ふわーっと 私はため息をついて

ますますマスターの所作に魅入っています。

 

はじめて淹れてもらったいっぱいの珈琲は

もったいないくらいに美味しかったのです。

それからというもの 自分を整えたい時に

このいっぱいの珈琲をいただきに行きます。

 

 

 

「はい、おまちどうさま」

いっぱいの珈琲が、私の前に出されました。

 

私は、珈琲の香りを深く吸い込んで心のとげとげを溶かしていくのでした。

 

名前や場所は書かずにおきます。

珈琲を愛する人は、いつかきっと行けると思うから。